ようこそ!せいめいのもりへ!!
本園は、こども中心・あそび中心のこどもの城として、保育教諭が事例を踏まえ保育研究を通して、人的・物的・時間的・空間的・自然的環境の構築を進めています。

さて、人間は本来離巣本能を持ち、生まれた時から自立への歩みが始まります。しかし、乳幼児期は、仮想と現実、考えていることと手足の動作など、まだ分けて考えたり動けたりできない『未分化』の時期です。だからこそ、彼らにとって生活そのものである「遊ぶこと」が学びにつながり、その遊びによって発達していくのです。

遊びによって知りたい!やりたい!の意欲が引き出されると、探究心や忍耐力(根気)が生まれます。そして、集中力、創造性、仲間との協同性といった生活に必要な術を、体験的に身につけていきます。時には、危険・苦痛・不快・不便さを味わうことがありますが、それは深く思考することを覚え、まさに「生きぬく力」へとつながるのです。

『保育』とは、子どもの心をつむぐこと、子どもが育つための環境を保証してあげることです。小さい壁を幾度となく乗り越える環境が子どもを育て、保育者も決して引き上げることばかりではなく、心に寄り添いながら支えることが求められています。意図的に声をかけたり、じっくり子どもを観察して見守ったりするバランスを保育者が考えていくことで、子どもの自己肯定感や自己有能感を育てます。

ところで、ドイツの教育学者で幼児教育の元になったフリードリヒ・フレーベル氏は、合理主義に反対し、子どもの感性を育てるために園庭の必要性を訴え、Kindergarten(キンダガーデン)という言葉を作った方です。直訳は“こどもの庭”です。以前にも書いたことがあるのですが、どうも日本では子どもは何もできない“幼稚”な存在で、大人が教えてあげないとできないという根柢の思いが強いようです。そして、日本でいう“教育”を英語で『education』(エデュケーション)と書きますが、(隠れた能力や才能を)引き出すという意味の『educe』(エデュース)からきていますので、教え込んで育成する『教育』という翻訳にもいかがなものかと疑問が残ります。こどもの、大人に持ち得ていない発想や物の捉え方などは反対に学ばされることも多くあります。彼らは決して教え込んで育成すればいい存在でも、幼稚(稚拙)で何もできない存在でもありません。清明学園が、全て『認定こども園』に名称が変わったことは、必然なのです。
span>

プリンタ用画面